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なつかしの六甲③ なつかしの弓の木住宅

地下道を抜けると 目の前に一本の道があった。
道なりに歩く。
なんともいえない 懐かしい気分がする。
「もしや…」
見慣れた風景というわけではない。 とりたてて変わったところのない新築の家が並んでいるだけなのに。
道の突き当たり 正面に、 クリーム色のコンクリートの大きな建物が見える。
あ。

それは 私が幼い頃に育った 市営住宅の色だった。
正確には 市営住宅の色に似た色、だった。
当時は もう少しオレンジがかった、そう、ピンクの御影石の薄い色に近い色だったように記憶している。手前左茶色マンション。奥クリーム色の市営住宅。
でも、コンクリートの厚みといい、階段のつくりといい、窓の形といい、昔のままのようだ。
昔の市営住宅が 少しこじゃれた洋服に着替えさせられて 面映そうに そこに立っていた。


今、私がいる この道は 小さい私が歩いた道。             


右手に立っている家の場所は、 以前、【水場(みずば)】と呼ばれた 小さなプールが幾つも集まったような場所で、 そこで近所の人たちは大きなものを洗ったり野菜を洗ったり、子どもは水遊びをしたりしていた。

その向かいになる、左手。
そこには私が住んでいた市営住宅の棟が かつてはあった。
何度も確かめたけれど 確かにそこにあったはずの棟は 今はもう 茶色いマンションになってしまっている。


この道は確かその頃 土だった。
両脇の溝は浅く、コンクリートのU字溝か、あるいは簡単にブロックのようなもので囲われていただけか…その溝に葉っぱを流して遊んだりしていた。小さな子どもがしゃがんでじっと眺めていても車も通らず危ないことは何もない、路地のような通りだった。

正面のクリーム色の市営住宅の前に、何棟あったのだろう、記憶にある限りでは正面の建物と同じ向きで、手前に4棟ほど建っていただろうか。
手前から2番目が私の住むアパートで、1番目と2番目の棟の間には道があり、大きなニセアカシアの大木が街路樹になっていた。
2番目と3番目の間には住民の小さな菜園があり、そこには大きな無花果の木と山吹がブッシュのようになっていた。 無花果の木には夏にはたくさんの油蝉が孵り、ジイジイと猛烈に鳴いていた。そこで捕まえた羽化する前の幼生を虫箱に入れて、アパートの窓際で羽化する様子をジッと見ていたことも なぜか鮮明に覚えている。

いまはすっかりアスファルトになったその道に立ち、家になってしまった【水場】とマンションになってしまった私の住んでいたアパートの棟を通り過ぎ、 どこにも見当たらないニセアカシアの木を無意識に探しながら、 正面の 昔ながらの市営住宅の形をした建物に 吸い寄せられるように進んでいった。


***



震災以前。
JRの車窓から石屋川を見通す高架を走るとき、この市営住宅群はいつも見えていた。
大学時代、東京に戻るために新大阪に向かう車窓から、アパートを探しては そこにあるのを確認するのが 習慣になっていた。


震災の後も、このアパートが立っているのを見た時に 思わず胸が熱くなったのを思い出す。
その後、アパートの老朽化と震災もあいまって、建てかえる計画がたっているのを遠く東京にいて聞いたように思う。


いつ建てかえたのかは知らない。
ただ、最近は JRからあのアパートを見つけられなくなっていた。
そのうち、石屋川を越えるときに 目を凝らして探すことは なくなっていた。


***


懐かしい市営住宅。正面のアパートに近づくと、その1階のロビーに 年配の男性が座っていた。

私が行ったり来たり、 カメラを片手にうろうろしている姿を見ていたのだろう。
ふと 男性と目があった。 何か問いたそうだった。
「こちらは昔の市営住宅ですか?」
意外なほど気負わず 自然に言葉が口をついて出てきた。
そうそう。 そういうように男性は頷いた。
「昔ここに住んでいたんです。 こっち(と、手前の茶色いマンションを指差した)も市営住宅だったですよね?」
男性は また、 そうそう、 というように頷いた。
石屋川公園への上がり口「市営住宅はこっち(と男性の居る建物を振り向いた)だけ建て替えたんですよ」 と男性が応えた。

市営住宅は以前より高い階層に建て替えたようだった。
住民の方が新しい市営住宅に移って、空いた住宅跡地がマンションになったらしかった。

私は 男性と少しやりとりをして、お礼を言って、 また歩き出した。

男性の居た市営住宅のすぐわきには、 懐かしい石屋川公園への上がり口があった。
この公園が石屋川公園という名前だったことはもちろん当時の私は知らない。
ただ、川の脇にある、野っ原、という印象だった。
野っ原に上がるには、 この階段付近からと、 あと何箇所か、 崩れかけたような石垣の所どころに崩れた階段のようなものが残っている穴があって、そこから上がったように記憶していた。


この綺麗になった階段から 再び石屋川公園へと上がった。



つづく
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街あるき | 00:47:47 | Trackback(0) | Comments(4)
コメント
市営住宅一棟だけ建て直されて後は無事だったんですね。意外と古いコンクリートの建物の方が強くって、バブル期に量産した“高級”マンションの方に被害が多かったと聞きました。
私の7歳から住んだ公団住宅は20棟中、スーパーの入っていた一棟のみ全壊。後は無事でした。
【水場】って、もしかして湧き水でもあったんじゃないですか・・・。私が6歳まで住んでいた一番お気に入りの本家の家の前にも、町中なのにあふれるほど水のよく出る井戸がありましたよ。
2007-05-27 日 23:33:35 | URL | 早坂 [編集]
◇早坂さん。
おお。早坂さんも団地っこですか(*^_^*)
市営住宅、実は1棟だけじゃなかったんです。次のにその後の写真をアップするつもりで準備してるんですけど…なかなか進まなくて苦戦。(ネットの調子がやっぱりいま一つなんです。すぐ消えたがる…)
確かに、見るからに丈夫そうなコンクリでした。新しい市営住宅も同じような造り。しかも私の眼には結構デザインも素敵に見えるんですけどね。どなたのデザインだったんでしょうか。

【水場】は早坂さんも体験されていたのと同じようなものかもしれません。とてもきれいな水がいつもたっぷりたたえられていて、しかも夏場も冷たくて気持ちの良い水でした。
子どもたちは【水場】のあぜ道みたいなコンクリートの上を走りまわって遊んでたように記憶しています。よく落っこちなかったなぁと。子どもの背が立たないような深いプールもあったと思うんですけどね。あの頃の写真は残ってないんでしょうかね。もう一度見てみたいと思うのですけれど。
2007-05-29 火 00:15:33 | URL | midori [編集]
>私の眼には結構デザインも素敵に見えるんですけどね。
私の目にもかなり素敵に見えますよ。今流行のシンプルモダニズムとでも申しましょうか・・・芦屋の浜の方に新しく超セキュリティーバシバシのこういうのが最近できまして、車が出入りする時にチラッと中を覗いたらこんな感じのデザインでした!!

水に関しては思い出がいろいろあります。私がまだ団地に引っ越す前に通った小学校の校庭の溝には、それはそれはきれいなクリスタルのような水がサラサラと流れていました。溝の底は白い海辺の砂みたいになって・・・。父とそこで手を洗った時、父はなんとその水で口をすすいだんですよ!!「大丈夫や」とか言って。でも溝だし・・・と幼心に驚きました。
でも今は水脈が変わってしまったのか、水は流れていません・・・がっかり。
父の子供のころに住んでいた東灘の家の井戸はいつも水面が地上まで来ていて夏にはスイカv-381がプカプカ浮いていたそうです。井戸にですよv-411

>コンクリートの上を走りまわって遊んでたように記憶しています。
そうそう。今考えると私も危険な遊びしていましたね。でも、あの時代の子供って敏捷だったのかな?ケガなんていっても向う脛にアザができる程度で、大怪我した友だちっていなかったような気がします。あ!一人だけいた。お父さんの自転車の後ろに乗っていて車輪に足をはさんで骨折した男の子。ギブスが取れるまで近所の子供たちの英雄でしたよ~。その子が出て来たらみんな集まってうらやましそうに硬い石膏のギブスに触らせてもらうのv-411のどかな時代だったんですね。
2007-05-30 水 14:49:16 | URL | 早坂 [編集]
>今流行のシンプルモダニズムとでも申しましょうか
あ、それそれ!その言葉がぴったりという感じです。
次の回で違う角度からの写真もアップできると思いますが、太めのコンクリートの手すりや梁などがいいんですよ~~

水のお話、すてき。
クリスタルみたいなお水でしたね。本当に飲んでも別状なさそうな、山の湧き水のような。
関西の料理が美味しいのは水の違いが大きいとよく言われますが、少なくとも当時、水場の水は塩素臭くはなかった。まだ神戸の水が恵まれていた時代だったのでしょう。この後10年程で川に洗剤の泡がブクブクしているような時代となります。

骨を折るような事故は、土の道だった頃には確かに少なかったかも。すりむくといってもアスファルトやコンクリートだとダメージが大きいですものね。草も生えてて崖から落ちてもクッションがよくて大きな怪我になりにくかったり。
自然のたくさんある場所って身体にも優しい場所なんですかね。
2007-05-31 木 12:24:55 | URL | midori [編集]
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