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もうすぐ あの日 ≪開幕の祈り≫

もうすぐ 1月17日、 あの日がやってくる。

 あの日。 朝、慌しく家事をしていた時に ダンナからの電話でそれを知った。
「ニュースみてる? 神戸が大変みたいだ」
一瞬 血が下がるのがわかった。
 テレビをつけると、 朝の光にてらされてはいるが 音のない 動くもののない 死んだような神戸。
慌てて実家に電話をする。
 幸い、すぐにつながる。 親の声を聞いた瞬間、どっと体中の力が抜けた。
そのあと、家からの電話がつながらなくなったが、 近くの公衆電話から、 何度も何度もかければ時々つながった。

 ずっと神戸の映像から離れられなかった。
夜を迎え、 真っ暗な神戸に点在してみえる赤い炎を 胸がつぶれる思いで見守ることしか出来なかった。あの炎の下には人がいる。 はよ火ぃ消さな。 早ぅ! なんでどんどん広がってんの? どないなってんの? 何とかせな! 何とかならんの?!
 ウチのすぐ近くまで火が迫っているよう見えた。朝を迎えるまで、テレビの前で身体の震えが止まらないまま ずっと念じ続けた。



あれから12年。


 10年を迎えたとき、 共に神戸で育った友達とは 「まだ終わっていない」 という思いを誰ともなく語り始め、 思いがけずも確かめ合うことになった。 テレビなどで 「神戸は復興した」 と明るく告げられているのが 実感とは とてもずれていたから。


 多くの人が犠牲となり、罹災し、 直接罹災していない多くの人の心にも 目に見えない傷が残っている。


 


 



あの日を 忘れられない
それぞれの人が それぞれの鎮魂を胸に あの日を迎える。



 去年の春に出たクラシックのCD、  佐渡裕さん指揮の 【開幕の祈り】 は 復興のシンボルとして2005年10月にオープンした兵庫県立芸術文化センターの専属オーケストラが初舞台を踏む前に録音された。
芸術監督であり、この録音の指揮をとった 佐渡裕さんは、ライナーにこう記している。


***


『(前略) …  僕の芸術監督としての役目は、非常にはっきりとしています。それは、あの忌まわしい震災のあったこの地で、力を合わせ生き抜いてこられた方たちに、素晴らしい舞台を届けることです。

 この街は、電気もガスもなくなったあの日、家族や友人を奪ったあの日のことを忘れないでしょう。そして、人のたくましさも、感謝の気持ちも忘れないでしょう。 そうした想いが、僕に、この劇場の、そしてオーケストラの誕生という形で、人が創る芸術とは「楽しみ」という原点に立ち戻ることなのだということを教えてくれました。僕は、多くの人々にその喜びを伝え、ともに心豊かな未来を創っていく役目を授かったと感じています。僕は常々「音楽は素晴らしい!」と言ってきました。素晴らしいものであるからこそ、多くの方々に感動を届けなければならないのです。兵庫でのはじめてのアルバムとなる 『開幕の祈り』 は、そのような大きな使命を感じ、出来立てのオーケストラを相手に、一音一音確認しながら、どこまでもうつくしさを求めた録音です。

 この音を、多くの犠牲者のために捧げます。そして、それは、この街の豊かな未来への「祈り」でもあるのです』


***


≪カヴァレリア・ルスティカーナ≫間奏曲
(マスカーニ)
弦楽のためのアダージョ(バーバー)
アダージェット(マーラー)
エレジー(チャイコフスキー)
ヴォカリーズ(ラフマニノフ)
アンダンテ・カンタービレ(チャイコフスキー)
クラリネット協奏曲第2楽章(モーツァルト)  そして
G線上のアリア(バッハ)。




聴き慣れた小品だからというだけではない、 心に染みる一つ一つの音に、知らず涙が流れる。




 表紙の 祈りを形に留めたような線描は 神戸出身の画家、寺門孝之さん
寺門さんも、 今月の17日に 震災への思いを胸に 神戸で≪2∞7☆1☆17てらぴかデッサンサロンスペシャル≫を開催する。  


                                                     


 



関連ブログ


【まもなく1月17日】 【1.17 KOBE】 【1.17の夜】 ≪美し都 神戸から≫ DAIさん。
【今年もこの日がやってきました】 ≪コウベライフ≫ ktokuriさんの去年の1月17日のブログ。
写真で若干重めですが、この写真を多くの人に見てほしいと思ってトラックバックさせていただきました。 今年のブログ → 【今年もこの日がやってきます】
【想い再び。。。願い新たに。。。12回目の1.17】 ≪神戸街援隊九十八番屯所≫ ハーブの住人さん。 今朝(1/17) の神戸から。
【震災12年】 ≪塩屋徒然≫ ふくださん。  おなじくふくださんより→
【救援物資を送るな!】 災害時に一番必要なのは… 救援物資が被災地の負担を増やすこともある、ということ、 ではどうすればよいのか を考えるヒント、など。 必見です。


【震災時のビデオ映像】 ≪美し都 神戸から≫ DAIさん。 (2007.8.22追記)
震災後12年たって、あの当時の映像が伝えるもの。DAIさんのストレートな筆致があの当時の自分の体験を思い出させてくれます。


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関連記事


1.17 | 19:08:53 | Trackback(2) | Comments(8)
コメント
NoTitle
毎年そうですが、今年もまた新聞でもニュースでも震災記事が多くなってきました。
この時期だけ震災のニュースか!と思うこともありますが、この時期だけも震災のニュースをして風化しないことを願います。
2007-01-15 月 00:40:57 | URL | よりりん [編集]
あの日
ブログジャンキーから飛んで来ました。

神戸の震災 本当に大変だったようですね。
私は話を聞くだけですがいつ東京にも大地震があるかどうかわからないから日々不安です。

2007-01-15 月 14:44:03 | URL | 亜里沙(arisa) [編集]
携帯電話
あの日から4日目。
実家に行かなあかんと思い、JRが芦屋から神戸までとまったままなんで、芦屋から臨時バスで三宮まで。

芦屋のバス乗り場に行ってびっくり。
周囲がメチャクチャなのに、はためくノボリ。
携帯電話の申し込み受付所のテーブルがずらり。

さすが関西やなと思いました。
2007-01-15 月 20:08:56 | URL | nr [編集]
テレビ
当時、初めて震災をテレビ映像で見たのは、避難所の体育館からでした。 NHKがテレビを設置してくれたんです。

何日目だったか覚えていません。 恐らく1週間ぐらいしてからではないでしょうか。 テレビで見る映像  ため息も出なかったように思います。 淡々と 黙々と 映像を見て 受け止めていたと思います。

三宮交差点から見た周囲の映像  あの景色は何年経っても忘れないですね・・・


あの頃があるから 今の神戸が余計に大切に思えます。 もう あんなことにはならないでね と。


midoriさん>
弊ブログよりリンクをさせて頂きたいのですが、如何でしょうか? よろしくご検討の程 お願い致します。m(_ _)m
2007-01-15 月 22:41:10 | URL | DAI [編集]
毎年 同じ気持ちで 忘れられない日を迎えます
よりりんさん。
風化できない人達が声をあげ続けることは できると思います。
この日だけでもあの震災を思い出してくれて、より多くの人が次の被災から少しでも逃れることが出来るのであれば、震災で亡くなった方達へのせめてもの弔いになるのではと思います。

亜里沙さん。
ブログジャンキーからようこそ。亜里沙さんは東京ですか?
私も今東京ですが、本当に怖いですね。このところ地震が続いているし。
出来ることをしておくのはとても大事だと思います。非常食や防災グッズ、いろいろ考えるとオシャレしてられないんですよね…東京のオフィス街を歩いて、ハイヒールで薄着の女性を見ると、心配になってしまいます。
よかったら私のリンクさせていただいてる方達は防災についてとても真剣に取組まれてると思うので、立ち寄ってみられてはいかがでしょうか。

nrさん。
あの直後、携帯は随分役立ったそうですが、芦屋で契約した人が神戸に持って入ったりしていたのでしょうか。本当にあの当時は無線やham並みの便利さを発揮していたのでしょうね。
あの後、携帯が増えすぎて、今では災害が起こると規制がかかって携帯が使えなくなったりしていますね。 それなのに、携帯が増えたばっかりに街の公衆電話がめっきり減っているので、連絡とるのに本当に大変になってきています。

私が実家に連絡した公衆電話は、もう撤去されており、今ではコンビニにも公衆電話がないので駅まで行かなければならない、という事に先日気付いてゾッとしました。

DAIさん。
そうだったんですか。テレビで神戸をご覧になったのはそんなに後になっていたのですね。
私は当日朝からテレビから離れられなくて、他に何かできることはないか、本当に無力感に襲われていました。支援物資を送っても罹災者に直接届かないという事が割りに早く地元から伝わってきていたのですが、一生懸命かき集めた毛布や乳児のミルクを、なんとかして届けたい、どのルートで送ればちゃんと届けられるのかと調べても、情報が錯綜・混乱していました…

三ノ宮の交差点、半年後にやっと神戸入りしたとき、私もあの風景に呆然と立ちすくみました。

リンク、是非お願いします。こちらこそ今後もどうぞよろしくお願いいたします。(失礼ながら、DAIさんのブログをウチにリンクさせていただきました。事後承諾、申し訳ありません)
2007-01-15 月 23:17:40 | URL | midori [編集]
NoTitle
richiさんの「どんつき~」から遊びに来ました。

震災のとき、僕は高校一年生でした。
県のボランティア募集で、神戸入りし、ひと月ほどボランティア参加しました。
思い出すのは、さまざまな作業をする中で、
震災で心にキズを負われたある奥様が、
飼い犬が寒い思いするからと、犬小屋に暖房の設置を依頼されたことです。
無茶だと思いましたが、結局は設置しました。

その奥様、設置を許可した責任者、携わった人々。。。
たった一つの作業で、いろんなことを感じ、考えさせられました。
2007-01-18 木 18:52:46 | URL | はぐれぷー [編集]
避難所で見た新聞
midoriさん
今でも 当時 避難所で配られた新聞を持っているのですが、 ペラペラになった神戸新聞(>4~5日目以降) を見て胸が熱くなりました。 社説を読んでいて 涙が滲みました。
必死で新聞発行を継続しようという 新聞人の血の滲む努力を感じて、内容の少なく 薄い新聞でしたが、 とても力を貰ったと思います。
テレビもそうですが、ラジオからも、新聞からも力を貰いました。
2007-01-18 木 19:10:11 | URL | DAI [編集]
震災の時には…
本当にいろいろなことがあったのですね。

★はぐれぷーさん。

こんにちは、よくぞお越しくださいました。richiさんのところからですか。こんなムサイとこに来てくださって…ホンマ嬉しいです。(笑

高校生でらしたんですね。ボランティアで来てくださった…ほんまにありがとうございます。

あの時、ウチの出身高校も避難所になり、当時現役の高校生の子達が、自分らも被災者やねんけど、すごい力になってくれた、ゆうて、震災後にえらい感謝されたという話を聞きました。

若い人が他人に気持ちを遣うてくれるという事もうれしいし、何より精神的にしんどい時、若竹のような若者達がおってくれるだけで、エネルギーをもらえるような気がするんちゃうかな、と思うんです。

私は神戸のときは子どもをつれて行けるようになるまで帰れんかったんですが、その後の三国の重油タンカー座礁の時には短期間でしたがお手伝いさせていただくことが出来ました。
その時、神戸でボランティアをしていた方達が多数参加され、また、神戸で助けられた側の人達も随分みえていたようで、ボランティア受け入れの組織も出来ていて、そこで活動している若いボランティアさんに随分御世話になりました。(いろいろ考えさせられることもありました)

あの震災は後にボランティア元年といわれるようになったそうですね。
ボランティア、という言葉一つにしろ、いろいろな出来事、いろいろな思いがあるとは思いますが、人の手が一人でも多く欲しいところはたくさんありますね。もちつもたれつ。 私が大好きな言葉です。上手にもちつもたれつできるように、日々小さな事からチャレンジしていきたいと思っています。

★DAIさん。

避難所で配られた新聞。 テレビ。 ラジオ。
多くのメディアが現地に入ってくれることをこれほど身近に応援したことはありませんでした。
どんな小さな事でも伝えられたことは一つ一つが大切な情報でした。
報道がいつも入っているところ、全然写されないところが出てきたとき、少し距離ができたような気がします。
報道も難しいですね。

でも、多くの情報を途切れることなく送り続けてくれた皆さんに感謝したいです。
そして自らも被災しながら、被災者の方達の安否を伝え、励まし続けてくれた現地の報道機関の皆さんの 『心』 に感じ入ります。
2007-01-19 金 20:58:06 | URL | midori [編集]
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まもなく1月17日
地震に遭った年の2月  避難所の体育館で 誕生日を迎えました。 その時 19歳になりました。 2007-01-16 Tue 08:44:20 | 美し都 神戸から(鳥瞰図を描きましょう♪)
1.17の夜
昨夜は会社帰りに東遊園地に行きました。 記帳が出来るのが21時までだったのですが、会場に着いたのは20時40分頃でした。 2007-01-18 Thu 19:05:43 | 美し都 神戸から(鳥瞰図を描きましょう♪)

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